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江戸期の日本は「小さな政府」時代だった。中央においても地方においても、町場においても農村社会においても、いまでいう民間が行政の末端を担っていた。もっと言えば、行政執行部分の多くは民間であり、祭りや共同作業などの社会的行事や事業のほとんどは民間が実施していた。とりわけ有力町衆や豪農などの所謂「旦那」の役割は広範に及んでいた。とはいえ、その役割は社会的に確たる規範があったわけではなく、そのため地域や個人の個性により様々な「旦那文化」が花開いた。
旦那文化の及んだ領域は政治、行政、経済、教育、文化の多岐に及び、 更に注目すべきはこの流れは明治期に入っても細々と続き、
完全に消滅したのは第二次世界大戦終了時であったことである。ただ、現在コーポレートシティズンが叫ばれるようになり、改めてその道筋の参考となるのが「旦那文化」の有り様ではないだろうか。
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